これが彼が慣れ親しんだ町並みだった。
そして、標札屋の隣にあったはずの本屋がなくなって、矢野名曲堂というレコード店に変わってい
康泰旅遊る。
一家は、もとは船乗りだったという主人と、その娘と息子の3人家族。レコードを介して、この店と奇しき縁ができて通ううちに、すこしずつ家族の風景がみえてくる。
だが、中学受験を失敗して名古屋に働きに出された息子が、家を恋しがってしばしば戻ってくる。そんな、あかんたれな息子を憐れんで、生活を共にするため一家で名古屋へ引っ越してしまう。
なんといっても子や弟いうもんは可愛いもんやさかいな、と標札屋の老人が語る。
仏壇屋があり標札屋があったという、古い町の匂いまで漂ってくる。こころ温まるが、さみしい話でも
康泰領隊ある。
落葉になって、ひらひらと歩きたいという思いもいつのまにか失せて、疲れきった足は枯木の棒になってしまった。
やっと生国魂(いくたま)神社にたどり着く。
七五三のお参りで賑わっている境内を抜けて神社の森に入ると、ここでまた織田作と出会う。33歳で夭折した彼は、ことし生誕100年ということで銅像になっていた。
帽子をかぶり、マントを羽織った姿で手にはタバコ、ブーツを履いた足は今にも歩き出そうとして
康泰旅行社いた。
上町台地の住民が「下へ行く」というのは、坂を西に降りていくことだったという。
そこには船場や千日前などの賑わいの街があった。そして、もっともっと古い時代には海があった。海に沈む夕日があり、夕日を拝む人たちがいた。